入学してまだ間もない頃、上の子から相談を受けました。
「ねえパパ、〇〇くんのお兄ちゃんに『きりん』って呼ばれるんだけど、嫌なんだよね」
その日着ていた服が黄色で、キリンのイラストがついていた。それだけのことで、そう呼ばれるようになっていたようでした。
子どもが「嫌だ」と言ってきたとき、親としてどうすればいいんだろう。怒ればいい?学校に言えばいい?それとも「気にしなくていいよ」で済ませていいのか。
この記事は、そのときパパがどう向き合ったかをそのまま書いたものです。
「きりん」というあだ名ひとつの話ですが、小学1年生の親なら誰もが経験しうることだと思っています。
うちの子の背景:友達ゼロからのスタート
上の子が通っていたのは、小学校の学区外にある認定こども園でした。つまり入学時点で、同じ小学校に通う知り合いがほぼゼロという状態でのスタートです。
正直、親のほうが心配していました。「友達できるかな」「輪に入れるかな」と。
でも子どもは思ったより早く友達を作ってきました。子どもの適応力というのは、親の想像をいつも超えてきます。「今日こんな子と遊んだ」「明日また一緒に遊ぶ約束した」という話を聞くたびに、ホッとしていました。
だからこそ、「きりん」の相談を受けたときに、すこし複雑な気持ちになりました。せっかく友達ができてきた矢先に、水を差すようなことが起きていたんだと。
何が起きていたのか
話を聞くと、こういうことでした。
ある朝早く学校に行ったとき、友達のお兄ちゃん(上級生)がいた。そのとき着ていた服がたまたま黄色で、キリンのイラストがついていた。それを見たお兄ちゃんが「きりん」と言った。
それだけのことでした。悪意があったかどうかも、正直わかりません。その場のノリで言っただけかもしれない。でもそれが別の日にも続いて、「きりん」と呼ばれるようになっていた。
子どもにとって、上級生から言われる言葉の重さは、同い年の子とはまったく違います。年上から言われれば、年下の子が気にしてしまうのは当然のことです。
「気にしなくていいよ」は言わなかった
最初に浮かんだ言葉は「気にしなくていいよ」でした。でも、それは言いませんでした。
なぜかというと、子どもは「気にしている」から相談してきたからです。「気にしなくていいよ」という言葉は、子どもの気持ちを一瞬で否定してしまいます。
子どもが「嫌だ」と言ってきたとき、まず必要なのは解決策より先に「そうか、嫌だったんだね」という一言だと思っています。
だからパパはまず聞きました。
「それ、嫌だったんだね。どんなふうに嫌だった?」
子どもはしばらく考えてから、「自分の名前で呼ばれたかった」と言いました。
その一言で、問題の本質が見えました。からかわれたことが嫌なのではなく、「ちゃんと自分として見てほしかった」ということでした。
パパがやった3つのこと
① まず気持ちを全部聞いた
解決策を出すより先に、ひたすら聞きました。「それで?」「そのときどんな気持ちだった?」と。途中でアドバイスをはさまないように意識しながら。
子どもは話しながら、自分でも気持ちを整理しているようでした。聞いてもらえるだけで、少し楽になることがある。大人もそうですよね。
② 「嫌だったら嫌と言っていい」と伝えた
次に伝えたのは、「その呼び方が嫌なら、嫌だって言っていいんだよ」ということです。
ただし、怒鳴れとか、仕返しをしろとは言いません。「次に呼ばれたとき、『その呼び方は嫌です』って一回だけ言ってみる?」と提案しました。
言えるかどうかは子ども次第です。でも「言ってもいいんだ」という選択肢を持つことが大事だと思っていました。黙って我慢することだけが正解じゃないと知っておいてほしかった。
③ 「それでも続くなら、パパに教えて」と言った
最後に伝えたのは、「一人で抱えなくていい」ということです。
「もし自分で言えなかったり、それでも続くようなら、パパに教えて。一緒に考えるから」
学校の問題をすぐに親が介入して解決しようとすると、子どもは「自分では解決できない」と学んでしまいます。でも一人に任せすぎると、子どもは孤独になります。
「いつでも頼れる大人がいる」という安心感を持ちながら、まず自分でやってみるという経験が、小学生の時期にはとても大切だと思っています。
その後どうなったか
パパが伝えたのは、シンプルなことでした。
「もし次に『きりん』って言われたら、その子に直接『きりんって言われるのが嫌だ』って伝えてみて。その子は、あなたが嫌だと思っていることを知らないかもしれないから」
なぜそう伝えたかというと、理由があります。
この上級生の子は、もしかしたら悪意があったわけじゃないかもしれない。その場のノリで言っただけで、相手が嫌がっているとは思っていない可能性がある。「嫌だ」という気持ちが相手に伝わらないまま、次の行動を考えても意味がない。まず気持ちを伝えることが先だと思ったのです。
次にどんな行動をするにしても、「嫌だ」という気持ちがまず相手に届かないといけない。それだけは確かだと思っていました。
翌朝、子どもはいつも通り登校しました。
その日の朝は、いつもであればその上級生と会うタイミングでした。でもその日の子どもは違いました。
自分からその子のところに向かって、「きりんって言われるのが嫌だ」と伝えたというのです。
6歳が、年上の子のところへ自分から歩いていって、自分の言葉で言った。
相手はどこかへ行ってしまったそうです。何か言い返したわけでも、謝ったわけでもなく、ただどこかへ行った。
そしてその日以降、「きりん」と呼ばれることはなくなりました。
子どもから話を聞いたとき、パパは少し言葉を失いました。6歳が一人でそれをやったんだと思うと。
パパが解決したのではありません。学校や先生が動いたわけでもない。
子ども自身が、自分の足で向かって、自分の言葉で伝えて、自分で解決した。
「嫌だと伝えていい」という一言を渡しただけで、子どもはそれをちゃんと使いました。
親にできることは、答えを出すことではなく、子どもが自分で動けるような「言葉」を渡すことなのかもしれないと、このとき強く感じました。
子どもが自分でその子のところへ向かったということは、友達への相談でも、逃げることでもなく、「相手に直接伝える」という方法を自分で選んだということです。6歳で、年上の子に対して、です。
これがどれだけすごいことかは、子ども本人はまだわかっていないと思います。でもパパはわかっています。この経験が、きっとこれからの小学校生活のどこかで、また力になってくれると信じています。
小学1年生の「嫌だ」は、こんなところから生まれる
今回のエピソードを振り返って、小学1年生ならではの背景があることに気づきました。
- 上級生との関係:幼稚園・こども園では年齢差が小さいが、小学校では一気に5〜6歳上まで広がる。年上からの言葉は子どもにとって重さが全然違う
- まだ自分の気持ちをうまく言葉にできない:「嫌」とは言えても「なぜ嫌か」を説明するのはまだ難しい。だから親が引き出してあげる必要がある

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